日本大学の歴史は1889年(明治22年)10月4日に、当時、日本初代の司法大臣であった学祖・山田顕義らによって「日本法律学校」(のちの日本大学法学部)として千代田区飯田橋・皇典講究所内に創立されたことに始まります。
その後1903年に「日本大学」と改称され1921、22年には大学の校色を「紅(くれない)」、旗色を「ピンク」に制定しています。
創立から120余年を経て総合大学として大きく発展した現在では14学部87学科、大学院22研究科、短期大学部、通信教育部や全国に数多くの附属校を有するまでになり、2007年からは「N」をかたどった新しい大学ロゴマークが制定されました。
日本大学医学部は1925年(大正14年)に日本大学専門部医学科として千代田区神田駿河台に「良き臨床医の育成」を教育目標に開講しました。1937年(昭和12年)に医学部は現在の板橋キャンパスに移転し、1952年(昭和27年)に新制大学に移行しています。
耳鼻咽喉科学教室は1927年(昭和2年)に開講され、その主任教授は初代の青木三弦教授以降、岡野治三教授、中村四郎教授、齋藤英雄教授、冨田 寛教授、木田亮紀教授、池田 稔教授、そして現在の大島猛史教授へと引き継がれてまいりました。
山梨医科大学(現・山梨大学)医学部の初代耳鼻咽喉科主任教授をつとめられた村上嘉彦先生、米国ピッツバーグ大学耳鼻咽喉科で教授をつとめられた山藤 勇先生など国の内外を問わず当教室から教授を輩出し、80余年の歴史の中で、耳科学、鼻科学、扁桃、味覚、頭頸部腫瘍、顔面神経、喉頭など様々な分野で数多くの業績を残してまいりました。
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